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カテゴリー「映画・テレビ」の記事

2019年6月 7日 (金)

アメリカン・アニマルズ

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2004年、米国ケンタッキー州で、大学図書館から時価12憶円相当の貴重な古書が強奪される。事件を起したのは、特に生活に困っていた訳でもない4人の大学生だった…

…という、実話を映画にしたのがこの「アメリカン・アニマルズ」という作品。
実話に基づいて、というレベルではなく、事件のあらましを俳優たちが演じるドラマを観ているうちに、なんと事件に関わったご本人達が続々と登場して、事の経緯を回想し始めるという、ドキュメンタリーの手法も用いられています。

自分の力で人生を切り回していかなければならない時が目の前に迫りつつあり、不安と同時に、こんなもんか?と勝手に先行きを見極めたつもりになってしまう。
そんな中で、特別な存在でありたい、ありきたりなやつらとは一線を画したい、という思いが、抗いがたい誘惑として目の前に立ち現れる…

イタズラの延長線上のような、稚拙な犯罪計画にのめり込んでいった彼らを、若い!イタい!愚かすぎる!と断罪するのは簡単だけれど。
それで終わりにしてしまうにはあまりにも、彼らが「いつの時代もどこにでもいる若者」なのがほろ苦い。
かつてまわりにいた若き日の仲間たちも、私自身でさえも、そしてSNS時代のある意味地獄を生きる今の若者たちも、皆みんな、取返しのつかない「やらかし」と紙一重。

事実の再現をフィルムに焼き付けていく過程のうちに、各人の証言は微妙にくい違い、完全犯罪と言う幻から、ついに現実に引き返せなかった彼らの哀れさが痛ましいのですが、観ているこちらにも「ヒャッハー!もしかしたら上手くいっちゃうんじゃない?」と思わせる瞬間があるのが怖いです。
「普通」と「普通じゃない」人生は、かくも地続きなのかと考えさせられます。

映画の終盤に登場するのが、どの登場人物のご本人か。4人の大学生のうち、当時を回顧して唯一泣くのは誰か。
現実の世界の中では、傷つけられていい人間など存在しない。
シンプルなようでいて、実は他者の痛みを想像できる心の成熟がなければ理解できない映画のメッセージを、事件の当事者である彼らはずっと心の深部に抱えて生きていくでしょう。
犯罪者の烙印を押されることなく教訓を胸に刻めるのも、芸術の効能です(笑)それにしても強烈な青春映画でした。絶対に後戻りしない時間の切なさよ!

 

2018年11月29日 (木)

日日是好日

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市民講座の裏千家のクラスに月2回通う、そんなお茶の世界とのお付き合いも、今ではすっかり遠い過去。

それでも、茶室の中の「音」「温度」「手ざわり」など、五感すべてが刺激を受ける…抹茶とお菓子の味わいにとどまらない、茶道の奥深さを体験出来たことは、本当に貴重だったと思っています。

その、心が揺さぶられる発見を追体験したくて、大きなスクリーンと良い音響の映画館でじっくりと鑑賞してきました。

初心者が誰しも通る戸惑いや失敗、お正客にならないためのお茶席イス取りゲーム(イスは無いけど)など、様々な「茶道あるある」では、客席の殆どを占める中高年女性たちからあー、わかる、わかるという声が漏れていました(笑)

「このお道具で、この方たちとお茶をいただけるのは二度と無いことかもしれない、その心構えで臨みなさい」
と、一期一会の心得を説いてくださった、自分の先生のことも、お稽古の日々も、懐かしく思い出され…
またいつの日か、茶室で釜の鳴る音に静かに耳を済ませたい、鑑賞後は案の定そんな気持ちに。

森下典子さんの原作を読んだのは、自分がお稽古を始めて間もない頃です。
著者のさまよえる心の旅路の果てに、まるで推理小説の種明かしの場面のようにタイトルの意味が明らかになる。
そのお手並み(お点前でなく・笑)に、参りました…と圧倒させられた記憶があります。

自分にとって思い入れの強い一冊だったこともあり、映画化のニュースを知った時は
「なぜ、今頃?」
という気持ちと、そしてもう一つ
「なんでもかんでも、樹木希林なんだなあ…」
というのが最初の感想でした。

その時は、これが希林さんの遺作、という扱いになるとは想像もしていなかったのですが、茶道の経験が無いというのが信じられない、見事な茶人の身のこなしでした。着物の着方や物言いも、ああお茶の先生ってほんと、こんな感じ!と手を打ちたくなるような。

そして主演の黒木華さん。
序盤の、悪い子じゃないんだろうけど、体の真ん中に芯の通っていない、頭でっかちな、要するにどこにでもいる若い子、という主人公が、成長していく過程の演技表現に引き込まれました。

面白い話が一つ。

映画の中盤に登場する大寄せの茶会は、横浜の三渓園が舞台になっているのですが、その撮影時のエキストラをされた方とお話する機会がありました。

間近で、そしてスクリーンで見た樹木希林さんの佇まいは本当に凜としていた、ちょっと前に「万引き家族」を観ていたものだから、あまりの違いにビックリしちゃって…
というのに応えて

「そうですよねえ。『万引き家族』といえば、あの映画の安藤サクラが『まんぷく』の福ちゃんだなんて、信じられないですよ」

と言ったら、え?NHKの朝ドラ?福ちゃんあの映画に出てましたっけ?と、先方がまったくピンと来ていない。
ほら、クリーニング店で働いてた、お母さん役の…とお伝えした時の、先方の「えええええ?全然違うじゃない!」という驚きっぷりと言ったら(笑)

生涯現役の役者としても、一人の人間としても、樹木希林さんはあっぱれという他ない一生を全うされました。
その欠落は大きな穴ではありますが、日本にはまだまだ、底力のある女優は次々控えている。頼もしい限りだと思います。

2018年11月26日 (月)

ボヘミアン・ラプソディ

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泣ける、泣けるという宣伝文句の煽りには醒めてしまう性質ですが、ラストシーンのライヴエイドのステージ、「伝説のチャンピオン」の歌声が流れる頃には、ボロボロと涙が溢れるのを抑えきれませんでした。

クイーンというバンドのオンリーワンの存在感、独特の作品群のパワーを気持ち良く再確認した時間でした。

ただでさえ凄いオリジナルを、更に神格化させていくために、この伝記映画が無かったことにした事実、抽出して濃密に表現した魅力、時系列を操作して作り上げたドラマ。
出演陣の熱演も演出の巧みさもあいまって、見事にその狙いに心を持って行かれました!

サッカーファンの端くれとしては、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」と「伝説のチャンピオン」はもう、脊髄反射で泣けちゃうという面もあり。

主演のラミ・マレック、あの歯の再現力は強烈だった…けど、ブライアンやジョンに比べるとそっくりさん度に関しては正直、それほどでも?と思う。

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むしろ、短髪×ヒゲになる以前のフレディの場面は、若い頃の沢田研二に見えて仕方なかったのですが…どうですかね?

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もちろん、似てるか似てないかなんて些末なことで、インド系の若者がフレディ・マーキュリーという人間を作品のように作り上げていく、辛く長い心の旅路の表現は素晴らしかった。
メアリーへ指輪を贈る場面は思い出すだけで胸がキュンとなります…

という訳で、文字通り「胸を張って」(のけぞるほどに)生きることの価値をかみしめさせていただいた訳ですが、それと同じくらい、鑑賞後に頭をよぎったことは
「自分にとっては鮮明な記憶が、もう歴史の一場面になっている」
ああ、私も時代の証言者になるくらい年を重ねているんだ…という実感。

そして、
「渦中に生きている時は、物事の本質は理解できないもの」
ということでした。

MTV時代の始まりが、洋楽を聴き始める年頃と重なる世代の私。
「フラッシュ・ゴードン」あたりからはリアルタイムでクイーンを聴いてきたことになります。初期の名曲はタモリ倶楽部の「空耳アワー」の方で先に耳に馴染んでしまったものも(笑)

ボブ・ゲルドフの呼びかけで、英国でチャリティソングが作られ、アメリカで負けじと「ウィー・アー・ザ・ワールド」が生まれ、そこからのライヴエイド実現、という流れもよく覚えています。
自分にとっては体験した事実であることが、時間の波に洗われて、「語り継がれていく伝説」になっていくのは不思議な感じです。

そして、最初にAIDSという病がニュースになった時、通っていた学校(ミッションスクールだった)の教師は「これは神様が堕落した人間に与えた警告であり、罰である」と平気で口にしていたし、そういう言説を吸い込んで、恥ずかしながら当時の私も、偏見や勘違いと無縁ではありませんでした。
その時点では、座標軸が歪んでいること自体に気がつけなかった。私もフレディを鞭打つ側だったと、今なら、今ならわかるのだけど…

年を取っていくというのはこういうことか(フレディの享年もとっくに追い越したし…)と思う一方で、この映画の盛り上がりを紹介しながら、「ライヴエイドはね、AIDSで死期を悟ったフレディと、それを知った上で演奏する仲間の、最後のライヴがもう感動的だったんですよ!」…と、映画が改変した部分を真実として熱く語るコメンテーターなど見ていると、歴史は後から作られるものなのだなあ、とうすら寒さを覚えたり。

…そして、時間を超えてこんなにもライヴエイドのステージに注目しながら、結局、寄附でアフリカの飢餓は本当に救われたのか?そのことは話題にもしない私たちって…

2018年8月28日 (火)

カメラを止めるな!

※文中、映画の内容に関してネタバレはしていません※

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面白い、絶対に観た方がいい、でも何がどう面白いかはどうしても言えないんです…

という感想を、どれほど目にしたかわからなかった、2018年の夏。

ポスターに描かれた「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる。」というコピーを読めば、途中で何らかのどんでん返しが起きることは誰にでも予想がつくと思います。

かなり巷の話題になってからの鑑賞だったので、私も当然、そのような心構えで映画館に赴きました。
が、騙される用意は出来ていたのにも関わらず、やっぱり「こう来たか!こういう事か!」鮮やかなお手並みじゃありませんか~、とうれしくなってしまいました。

本来、ゾンビ映画も含む流血もの、バイオレント描写は大の苦手なのですが、うへぇぇとなりながらも観ただけの甲斐は十分にあった(笑)
パンデミックならぬ「ポンデミック」現象(語源は観ればわかる)がアツアツなのも、深く納得。

正直なところ、出演者達が今すぐAクラスのトップ俳優になれるかと言われればあやしいと思うし、監督さんも「次の一手」は大変だろうなあ、二度とこの手は使えないし…とも感じます。
ただ、この映画、様々な制約の中でもがきながら、1つの目標に向かってモノを作り上げていく過程にある(あった)人の心には、ど真ん中に刺さる主題を持っている。さんざん笑った大団円に、胸が熱くなる晴れ晴れとした感覚がある。
これほどまでに情熱的な「推し」の力が渦巻いたのは、その魅力なのだろうと思いました。

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この日は、朝から三宅坂の国立小劇場にて、長唄の杵屋勝四郎一門会を聴きに行っていました。

長年お稽古を続けているお友達のお友達が出演されるということで、時々お声がかかりお邪魔しています。
私達世代には懐かしい「イカ天」に、「THE家元」というバンドを組んで出演していた勝四郎さんも、もう還暦とは…
ジャニーズ事務所に所属していた息子さんも、杵屋勝四助の名前で出演。大トリで素踊りを披露された松本幸四郎丈も熱演。

終演は夜9時近くという長丁場の途中、中抜けして日比谷ミッドタウンで映画鑑賞をしてきた訳ですが、ゾンビと邦楽、という振り幅の大きな一日、面白い経験が出来ました。

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2018年6月18日 (月)

犬ヶ島

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ウェス・アンダーソンの新作が、大好きなファンタスティックMr.Fox以来のストップモーションアニメで、なおかつ日本が舞台、という情報を最初に聞いた時、朗報という言葉では足りない、恐れ多いほどの喜びと期待を感じてしまいました。

ウェス・アンダーソンの映画を観る度に、その「スタイル」の存在感に圧倒され、「もう、大好きです!かわいい!愛らしい!」と腰砕けにならざるを得ない私です。

近未来の架空の都市「メガ崎市」を舞台に、犬インフルエンザの蔓延で捕獲・隔離される犬たちが少年と共に立ち上がる…という本作でも、鑑賞中ずっと、「この世界の中にずっと浸っていたい!いつまでも観ていたい!」と身悶えしておりました。

冒頭の、このぽっちゃり男子たちが叩く和太鼓の音楽からして、かなり中毒性が高い。

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てっきり日本の奏者が演奏しているのかと思っていましたが、エンドクレジットでそうではないことがわかってびっくり、枠に囚われていた自分の狭さを恥じました…

「七人の侍」をはじめとする黒澤明監督作の引用をはじめ、絵巻、ネオンサイン、日本家屋、鮨…私達にとっての「あたりまえ」が、1枚フィルターを通したらこんなにも違った輝きを放つのか、という興奮を味わい続けました。

実際に、ゴミ捨て場が「夢の島」と呼ばれていた頃を知っている世代としては、荒唐無稽とも言い切れない世界観。
好きなものを好きなように創造した、ということに尽きるこの映画で、ストーリー上の必然として描かれる汚い大人の事情が、スクリーンの外の現実(イマ)をあぶりだしてしまっているのは皮肉なことです。

日本語のセリフや画面中にあふれる文字が、「雰囲気」ではなく「リアル」に受けとめられてしまうことで、世界の中で日本人だけがこの映画の情報を奔流のように受け止めてしまう(世界の中で日本人だけが…という点は、韓国映画「お嬢さん」のこそばゆさに通じるものが)。

そんな映画が21世紀に、このクリエイターによって誕生したことは、偉大なる先人たちの遺したものがあればこそ。その遺産、当の私たち日本人が、本当に大事に出来ているのかな…?という思いも抱きました。

万人受けはしないと思うけど、もっともっとたくさんの人に映画館に足を運んでほしかった!!

2018年5月25日 (金)

君の名前で僕を呼んで

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十代の頃に封切られた「眺めのいい部屋」や「モーリス」といった作品群に陶酔していた世代としては、名監督ジェイムス・アイヴォリーがこの作品で、今年のアカデミー賞脚色賞を受賞した場面は、大変に感慨深いものでした。

御大自らはメガホンを取らなかったというものの、観た人が洩らす感想の「魅せられっぷり」にかつての自分が重なり、絶対に大きなスクリーンで観ようと決めていた作品です。

舞台は、1983年、北イタリアのある街。
大学教授の息子、17才のエリオと、父親の助手として6週間共に過ごすことになった大学院生、オリヴァーの「ひと夏の恋」が描かれる映画です。

画面いっぱいに広がるイタリアの自然、彼らが暮らす史跡のような石造りの邸宅、部屋の調度の隅々に至るまで、映画館に足を運んだ価値が十分にありました。

そして何より、エリオとオリヴァーの「時分の花」と表現する他ない、若さゆえの美しさ。

この場所、この時でなければ生まれなかった理想美の世界。
だからこそ、二人の関係は断ち切られ、幕切れのある物語として思い出の中に完結する。
切ない最後に胸をしめつけられながらも、そうじゃなくちゃね、と思わされるところが、耽美主義の極みというか。
若い時ゃ二度ない、という言葉の真実は、年を重ねた者ほど深く理解できる。今年90才になる脚本家の描く青春の眩しさ。
「映画芸術」という言葉にふさわしい、完成度の高い工芸品を愛でたような時間でした。

原作の小説は、作者の実体験ではない、と明言されているそうですが、映画には、老いたゲイカップルの片割れとして原作者がカメオ出演しています。

文学や音楽や美術のことばかりを考えて暮らす毎日。こんな経験があった後で、こんな言葉を語りかけてもらえたらどんなに救われるだろう、と思わせる父親の台詞。 (ちなみにお父さん役の人、シェイプ・オブ・ウォーターの時とは外見も役柄もまったく違っていて仰天しました)
そして、自分の名前でお互いを呼び合う、二人だけの秘密のサイン。俺があいつであいつが俺で…?

突き抜けた理想のように感じるこの夏の物語、つまりは
「こんな夏が、本当に自分の人生にあったら」
という、手に入れられなかった夢の具現化なのかも…?とも、感じました。
だからこそ、恋する気持に伴う痛みを知っている、万人の胸に刺さるのかも…と。

エリオを演じたティモシー・シャラメの、三か国語を自在に操りピアノを弾きこなし、繊細な感情表現を見事に演じる美少年ぶりは評判通りの見応え。
そして、「役柄に対して老けすぎ」と言う評も聞いたオリヴァーのアーミー・ハマーも、古典的な美男子ぶりが恋の顛末に説得力を持たせていたと思いました。
思いが通じ合った後の、エリオを見つめる表情の愛おし気なこと。
一生に一度でも、こんな眼差しで大好きな人に見守られたら、それだけで充分に人生を謳歌した、と言えるのではないでしょうか。

高級チョコレートを食べ過ぎて鼻血を出しそうな高揚感(どんな?笑)と共に映画館を後にし、私も生活が待つ現実の世界へと帰ったのでした。
(その後、猛烈に青池保子や摩夜峰央の漫画を読み耽りたくなった…)

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補足1)オスカー授賞式の際の、ジェイムズ・アイヴォリーが着ていたシャラメ君の顔イラスト入りシャツ。一見して「攻めてるなー!」と強く印象に残ったのですが、映画の終盤を観て「そういうちなみものだったのか?」と納得しました。

補足2)この映画、映像と同じくらい美意識に貫かれた音楽が最高で、オリジナル・サウンドトラック を聴いていると気分はすっかり真夏の北イタリア。80年代の坂本龍一の楽曲も入っています。サイケデリック・ファーズが懐かしかった…

2018年3月 3日 (土)

シェイプ・オブ・ウォーター

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アカデミー賞が発表になる直前に、映画館に滑り込んで鑑賞してきました。
劇場公開される何か月も前に、SNSで偶然目にしたこのポスタービジュアルが素晴しく魅力的で、絶対にスクリーンで観たい、と固く心に誓っていたのです。

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この1枚の絵に心をわし掴みにされてしまった私には、異形の半魚人に強く惹かれていく主人公の女性の気持ちがよくわかりました。

…というか、鑑賞中頭に浮かんでいたことはほぼ「魚人、イケてる!」に尽きる(笑)

声を発することが出来ない夜勤の掃除婦として年を重ね、ロマンスは遠い世界のこととして生きていた主人公イライザが、文字通り「恋に溺れて」いく過程に、私もすっかり同調して、陶酔したり、切なさに胸をしめつけられたり。

魚人のルックスも最高でしたが、主演のサリー・ホーキンスの細やかな感情表現(台詞なし!)には脱帽でした。
手話を理解してくれる友達も、仕事も、居場所も手にしているけれど、孤児という生い立ちを抱え、愛されることへの渇望を内に抱いてきたイライザという女性が、どんどん内側から輝いてきれいになっていく様子…
恋ってステキ、たとえ相手が魚人でも。と、うっとり。
怪獣映画ではなく、恋愛映画として堪能させていただきました。

髪の毛一筋も残さず水に全身を浸した彼女は、まさにこんな風に、完全に愛に包み込まれたかったのだな、と、終盤は私の涙腺からも水分がダダ洩れ…タイトルに込められた意味を自分なりに噛みしめました。

その恋の成就の過程には、同性愛者、黒人、移民等、メインストリームからははみ出し者とみなされる人たちの協力があり。
それがトランプ政権下のアメリカを始め、排外主義と差別を恥と思わなくなっていく世界への、強烈なカウンター描写であることは明らかです。

ですが、一方で、イライザ達の敵として登場する白人のパワーエリートの描写…
商品広告に出てくるような理想的な妻子ある家庭、家、車のある生活を営み、公私共に上昇志向を貫きながら、実はそれもまた一種の地獄、というところが、私は本当に恐ろしかった。

マイケル・シャノン演じる彼が仕事中に読む「The power of positive thinking」という本は、実際にトランプ大統領の愛読書なのだと言います。怒りよりも蔑みよりも、「Make America Great Again!」と言ってる方もしんどいのね…という同情に駆られてしまったのは、違いを認めあい寄り添うことの出来る、本作品のやさしい登場人物たち(当然、魚人もその中の一人)の美しさに触れたからでしょうか。

2018年1月18日 (木)

シネマ歌舞伎「京鹿子娘五人道成寺/二人椀久」

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一昨年の暮れ、こんな特別仕様の舞台が見られる機会はそうないだろう…と歌舞伎座で夢のような時間を過ごした公演が、シネマ歌舞伎になってスクリーンに甦りました。

(実際の舞台を見た際のブログはこちら

以前「二人藤娘」がシネマ歌舞伎になった時と同様に、映像演出、編集を坂東玉三郎丈ご自身が手掛けています。

舞踊二本立てだった十二月公演夜の部が、そのまま映画になっている形ですが、「京鹿子娘五人道成寺」は、道成寺論を語る素顔の玉三郎、という映像で幕を開け、舞踊の合間に出演者のインタビューや舞台裏の映像が差し挿まれるという、ドキュメンタリー映画のような仕上がり。

従来のシネマ歌舞伎のセオリー通り、舞台を映像化した「二人椀久」とは対照的で、玉三郎の目を通した「京鹿子娘道成寺」という舞踊作品の多面的な解釈が、こんな風に後世に残るというのは素晴らしい、と思いました。

大曲に挑む若手俳優たちが語る思いや、踊る5人をその何倍もの裏方が支える舞台裏、そして自身の過去の映像まで、ふんだんに素材を盛り込んで、映画ならではの贅沢な体験をさせてもらえたという印象。

そして、お兄さん(二十代)よりおじさん(三十代)よりおじいさん(六十代)が美しい…という驚愕の事実に、改めて打ちのめされた次第です。

子どもの頃、同居していた祖母が大の玉三郎びいきだったことが、私の歌舞伎原体験なのですが、今でも覚えているのが、祖母がテレビの劇場中継で玉三郎を見る時はいつも、

「(身長が高いから)こんなに背中を丸めて膝をかがめて、かわいそうに」
「足が悪いから正座は辛いはずなんだよ、かわいそうに」

…と、やたらかわいそう、かわいそうを繰り返していたこと。

恵まれない点をいくつも抱えた悲劇性が、なおさら玉三郎丈の人気に拍車をかけた点は否めないし、実際に凡人には計り知れない苦労を耐えて精進された末に今があるのでしょう。
それを思うと、海に潜ろうがシャンソンを歌おうが、何でも、楽しいことはどんどんおやりになってください、好きにやっちゃえ!という心境のこの頃なのでした。

2017年12月31日 (日)

ブレラン、イエモン、72

身辺の「残しておきたい、いいことの記録」として書き続けている当ブログ。
この頃は、SNSでとりあえずの記録は手軽に残せることもあって、なかなか文章を書く作業に時間を回せず、更新が滞りがちです。

いつかブログにまとめよう、と思いながらも、タイミングを逸したテーマも数々ありました。
せっかく時間をやりくりして観に行った映画、読んだ本。
感激が新鮮なうちに、ちゃんと感想をまとめておけたらよかったのですが…

今年観た映画の中で、ベスト1だったのは「ムーンライト」ですが、先日観た「ブレードランナー2049」も、なかなか忘れ難い作品でした。

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前作の「ブレードランナー」が、スタイリッシュなカルトSFとして大人たちにもてはやされ、映画の世界が現実の光景に影響していく時代に青春を過ごした私(笑)

あれから三十数年、レプリカントを狩るブレードランナーが主人公であることは同じですが…
オリジナルのハリソン・フォードは一匹狼で好き勝手を通していたのに対し、「2049」のライアン・ゴズリングは、警察組織の歯車として、周囲に見下げられながら任務を遂行する社畜的キャラクターだったのが、何とも今風で、切なかったです…。

限りある生を受けてこの世に生きる意味を、人造人間であるレプリカントの姿から考えさせられた前作。
今回の映画でも、「何者かでありたい」「何事かを成し遂げたい」という、人が持つ根源的な望み、それを抱えて命を全うすることの苦い重さについて、レプリカントに教えられた気がしました。

映画の他にも、色々と楽しいお出かけを今年も体験出来ました。
今月、熱狂的ファンの従妹にお伴して、THE YELLOW MONKEYのライブに足を運んだのも忘れられない思い出。

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東京ドームでコンサートを観るのは、考えてみたら生まれて初めてのこと(数十年前に野球は見たことがあります)。

特にメンバー個々を追いかけていた訳でもない私にとっては、グループが解散してから再結成を果たすまで、どこかで冷凍保存でもされていたのか?と思うくらい、年令を感じさせないルックスの保たれ方に感服。
若い頃はカラオケで単純に盛り上がっていた「バラ色の日々」や「JAM」といった曲の歌詞が、中年になって改めて聴くとこんなにも心に沁みるか…と、何度も涙腺が熱くなってしまいました。

振り返ると昨年あたりから、久しく顔を合わせていなかった懐かしい人との再会が続いている私。同年代の友人が、子育てを一段落する時期だということも大きいかもしれません。
同窓会があったり、年賀状のやり取りだけでつながっていた同級生と、二十数年ぶりにじっくり話したり。

先に書いたブレードランナーの続編にしても、イエモンの再結成にしても、そして長い年月を経てまた会えた人たちにしても…
2017年は、平たく言えば

「ずっと生きていたら、こんな日も来る」

という事を度々実感した年でした。

そういえば、1年前に解散したSMAPのメンバー3人が事務所から独立して、インターネットテレビで森君と対談する、なんてことも、まさかこんな光景が見られるとは思わなかった、と感慨深かった、今年のmy重大ニュースでした。

3人のプロジェクト「新しい地図」が、その「72時間ホンネテレビ」のテーマソングとして発表した「72」という曲。
番組の最後は吾郎ちゃんにもらい泣きした私、この歌の歌詞のこの部分にハッとさせられました。

 ぼくが72歳なら
 きみはいくつだっけ

 ぼくが72本のバラ、
 きみに贈るから

 お互い長生きしようね

生き続けていると、時間が思いがけない贈り物をくれることがある。
インスタ映えとは無縁の日々の方が多くても、思い通りにいかないことの連続でも、生きていれば。日々が続いていれば。

当たり前のように時間を積み重ねて行けることは、なんとありがたいことか。その思いを胸に、来る2018年も健康第一で前に進んで行きたいです。

どうぞよいお年を!

2017年5月 8日 (月)

ムーンライト

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今年のアカデミー賞で、まさかの発表ミスによるどんでん返し、という余計な要素はついたものの、作品賞を獲得した映画を過日、鑑賞しました。

これ、本来はミニシアターから口コミで評判が広がっていくタイプの映画では…
と思いつつも、シネコンの一番大きなスクリーンで、細部までこだわり抜いた映像の美しさを堪能できたことはまさに、オスカーさまの御利益でした!

貧しく治安の悪い地域で、ドラッグ中毒の母親と暮らす少年の成長を追う物語。
あらすじを聞いただけでは心が明るくなるような要素は皆無。

ただ、どぎつい描写で悲惨さを強調することは一切なく、監督や原作者が生まれ育った環境がそのまま舞台になっているというのに糾弾や恨み節にもならず…
静かな視線で、丁寧に主人公の心情に寄り添う、叙情的でロマンティックな映画だったことは想像以上でした。

その心の動きを目の当たりにさせられる主人公というのが、様々な理由から
「泣きすぎて自分が水滴になりそうだ」
なんて言葉が出てくるような過酷な日々を生きているので、こちらの心も否応なしにヒリヒリ痛むのですが…

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3部に分かれた物語のそれぞれで、年齢の違う俳優が主人公シャロンを演じています。心に空洞を抱えて生きざるを得ない人の、目に宿る「哀しみの色」が、3人に見事に共通していて驚嘆しました。

偶然目にした「In Moonlight Black Boys Look Blue」という原作小説のタイトルが私はとても印象に残って、それがこの映画を観たいと思ったきっかけの一つでもありました。
生まれつき備わって自分では変えることが出来ない宿命も、当てられる光によって、違う色で輝くこともあるかもしれない。

何が自分の苦しみなのかさえ理解できない子ども時代から、己一人を頼みに生き抜いていくしかないシャロン。
それでも、人生の大切な節目は必ず、自分以外の誰かとの関わりの中で訪れるのです。

月明りのような静かな、やさしい光明が、彼の心に差し込む終盤。それがまるで自分の心であるかのように、胸がドキドキと高鳴って…
本当に感情が揺さぶられる体験でした。

俳優の演技、映像、音楽、すべてが素晴らしく、鑑賞後かなりの時間が経ってもまだ、余韻のさざなみで頭の中がざわざわ。そういう感想を持った人がたくさんいることでしょう。

この映画はこれからも、私の中で大事な存在であり続けると思います。キツイ状況に直面して自分自身に嫌気がさすような時、きっと観たくなるんじゃないかな、という気がしています。